David (以下DH): 子供の時から運動が好きだった?
Bob(以下BS): そうだよ。どんなスポーツでも一応やってみたね。 ゴルフ、テニス、野球、バスケットボール、ウェイトリフティング、それに水泳も(沈んだけどね)。
DH: 子供の時から大きかったのかい?
BS: いつもクラスで一番大きかったよ。ハイスクールでは115kgあった。
DH: 特に秀でたスポーツは?
BS: それはフットボールだね。
DH: フットボール選手としてのキャリアはどこまで進んだの?
BS: 僕はサードラウンドでシカゴ・ベアーズにドラフトされたんだ。その後ミネソタ・バイキングスにトレードされてそこで2年、それからボルチモア・レイブンスに移籍した。
ボルチモアではシーズンの最中に怪我をしてしまい、WCWプロレスリングに移ったんだ。 ところがWCWシーズンの半ばでオークランド・レイダーズから声がかかり、ディフェンスをやらないかと誘われた。だからまた移ったよ。でも体重が重くて、結局アキレス腱をひどく痛めてしまったんだ。
その時だね、プロフットボールから引退する潮時だと思ったのは。
DH: 今のボブの成功から見ると、その判断は正しかったようだね。
BS: そうかも知れない。怪我を重ねる危険から救われたようだし、ファイティングを始めることが出来たからね。でも正しかったかどうかはまだ分からないよ。2、3年したらもう一度聴いてくれるかい?(笑)
DH: プロフットボールから一躍MMA(ミックス・マーシャル
ア[ツ: 総合格闘技)に移ったのは、どういう経緯から?
BS: フットボールを辞めてからWCWのプロレスリングに帰ったところで、K-1ファイターのサム・グレコと知り合いになったんだ。彼は僕の体が大きのに興味を持ち、次回のタフマン・コンペティションに向けてトレーニングの手助けをしてくれると申し出てくれた。
DH: タフマン・コンペティションって?
BS: ああ、要するに全国から集まった普通の男達がリングに登って殴り合いするショーだよ。僕の最初の相手はかつてのフットボール選手のウィリアム・"リフリッジレーター"・ペリーだったけど、セカンド・ラウンドでノックアウトしたね。あの試合で二人ともキャリアの道が開けたんだ。ウィリアムはプロボクサーになり、僕は今ではプロファイターさ。
編集者注: 現在プロボクサーのウィリアム・"リフリッジレーター "・ペリーは、1985年から1993年までシカゴ・ベアーズのディフェンシブ・ラインマンを努めた。
彼のファイティングキャリアもボブ・サップとの最初の試合から開けたのである。
DH: 最初のタフマン・ショーに出場するまでのファイティングの経験は?
BS: 全然なしだよ。サム・グレコについてほんの数ヶ月トレーニングしただけだった。
DH: じゃ,どうやって地方のタフマンからK-1のスーパースターにまでなる事が出来たのか、話して貰えるかい?
BS: 始めての試合の後、サム・グレコから「強烈パンチを持ってるようだから、ファイティングに将来性がある。このビデオを館長の石井さんに見せるよ。」って言われたんだ。それでサムが石井さんに僕のボクシングとレスリングのテープを見せたところ、K-1からコンディショニング、スタミナ、持久力は良いがボクシング技術はゼロだと言ってきた。にもかかわらず、僕が練習すれば上達するだろうと信じてくれ、駄目でもこのサイズだから日本のプロレスに入れるだろうということになったんだよ。
DH: それで始めて日本に来たってわけだね。
BS: そうさ。最初は石井さんのボディガードを装って来日し、日本で僕を仕込んでくれるプロレス団体を探した。
その頃は興味を示す団体は余りなかったものだから、石井さんがK-1ファイターとしてトレーニングを始めるようにと薦めてくれたんだ。その時、リングにデビューするまでには何年もトレーニングしなきゃならないとも言われたよ。それで帰国してトレーニングを始めて間もなく、PRIDEの団体が僕を誰かと試合させることに興味を示して、それからはご覧の通りだよ。(笑)
DH: フットボールとファイティングの二つのスポーツのトップレベルで活躍してみて、どっちが難しいと思う?
BS: 二つは余りにも違うスポーツだから、比較するのは難しいね。フットボールではオフェンシブ・ラインだったから、あの強烈インパクトは体にこたえたよ。フットボールは世界一乱暴で、危険なスポーツだと思うし、怪我をする率も恐ろしく高いと思う。一方ファイティングは、パッドを使わないけど、有能なファイターが揃っているから、ホントにパンチもキックも一本一本が痛烈さ。もし幸いにして感じないって時は、もうとうの昔にノックアウトされてる時だよ。
DH: 殺るか殺られるかの覚悟で試合に挑むファイターが成功しているようだけど、プロフットボールでも成功している選手は同じようなメンタリティなのかな?
BS: 同じだよ。 ただフットボールでは(オフェンシブ・ラインマンとしての)目的は相手を一人倒したらまた次の相手を順々になぎ倒すだけでいい。ファイティングでは相手を床に倒せたとしても、それからが大変なんだよ。(笑)
DH: チーム・スポーツと個人スポーツのどちらが好きだい?
BS: 一般的に言って、僕はチーム・プレーヤーだと思うね。だからファイティングのような個人スポーツをやっていても、チームを作って育てたい気持ソに駆られるんだ。K-1の組織が気に入ってるのはそこだよ。
知らない人が聞けばびっくりするかも知れないけど、ファイターはいつも皆一緒で、試合の後は一緒に笑ったりリラックスしたりするんだ。K-1のファイターは一つの大きなチームだと思ってるよ。
DH: 一番てこずった相手は?
BS: グラウンドでは絶対ノゲイラ。スタンドではア−ネスト・ホーストだろうね。でも僕は経験が浅いから皆強敵だよ。言っとくけど、皆世界一タフな連中ばっかりだからね。もし目をつむって、アーネスト、シリル、中迫、田村なんかに殴られたら、一体だれに殴られたか区別もつかないこと請け合いだ。それ程皆強烈なパンチを持ってるよ。
DH: アーネスト・ホーストに蹴られた時はどんな感じだった?すごく痛そうに見えたけど。
BS: その時は何も感じなかったけど、2日後から何週間も歩くのが辛い程痛かったよ。 アドレナリンが正常へ戻るまでに2日位かかるからね。
DH: 2日も?!
BS: そう、試合が済んでからも僕は、「こうすれば良かった」、「ああするべきではなかった」とか「僕のことを新聞があんな風に書いたなんて信じられない」とか考えたりしてストレスが多いんだよ。だからアドレナリンのレベルが高くて、試合の後2、3日は痛みも感じないくらい頭の中が1杯なんだ。
DH: K−1 グランプリで、アーネストとの試合中に手を傷めたね。
あれは感じた?
BS: いや、感じなかった。実は、試合の2週間前にひどい捻挫をやってね。試合中にそれが悪化してしまったんだ。試合中には痛みを感じなかったけど、後で少し痛み、医者にここで中止しなきゃ将来試合に出場出来なくなると言われた。今後2年の欠場を覚悟で、トーナメントに勝てるようそのまま続行するか、即刻離脱して次の試合に備えて回復するか、その場で決断を迫られたよ。知らない人も多かったけど、実はあの時の試合中に足の小指も折ってたんだ。
DH: 痛いなー。で、アーネストにノックダウンされた時のボディブローはどんな感じだった?
BS: 言葉で説明しにくいから、実演してみせようか?(笑)
DH: (神経質な笑) チャレンジしてみたいファイターはいる?
BS: ノゲイラに挑戦して PRIDEのタイトルのリマッチをやってみたいけど、絶対に出来ないと思うよ。
彼は僕との再戦は固く拒んでいるし、チャレンジを受けるか否かはチャンピオンに決定権があるからね。 彼は僕のチャレンジを受ける権利を得たってところかな。
DH: 試合を避けたいと思う相手は?
BS: いないね。でも試合する価値のない試合はしたくないよ。例えば僕よりずっと体の小さい相手なんかとね。
DH: 一番尊敬するファイターは?
BS: 敬服すると言うより、チャンピオンからはむしろ勉強させて貰うんだよ。ノゲイラとアーネストの二人のチャンピオンからはもちろん、僕は技量の優れたファイターなら誰からでも学ぶ。彼らが使うテクニックを見て、自分もリングでああいう風にやって見たいと思うテクニックがあれば、将来アタックに使う武器の一つに取り入れるのさ。
DH: どの団体が君のファイティングスタイルに向いてると思う?
BS: 僕はいわゆるプロレスラーだ。と言うことは、何時どこでもどんな種目の相手とでも試合をする。
だからプロレスリングのステージが多分一番性に合ってるだろうね。それに一つに限らず、色んなイベントで試合をするのが好きだよ。ホンモノのプロレスラーってのはそういうものなんだ。
どこでも試合をする。僕はプロレスラーだ。だからPRIDEでもK-1でもプロレスでも何でも顔を出してるだろ。
DH: 君は脚ニボディが弱いという話を良く聞くけど、どう思う?
BS: 笑わせるねー。 (笑) アーネストとの2度目の試合までは、皆僕を負かすにはローキックが一番だ思ってたようだが、あれは駄目だったろ?
2度目の試合でアーネストにボディブローでノックダウンされてからは、皆僕の弱点はボディだと思ってるんだ。(笑) ホントはね、僕は経験が少ないから防御を怠ればどこをやられても変りはないんだよ。
(笑) それならヘッド・キックでも同じことさ。 どんな試合でも命中するショットというのがあることは事実だ。僕はあちこち打たれることが分かっているから、相手の打撃以上のダメージを相手に与えるように努めるだけだよ。
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